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category :    論理力アップをめざす

脱・ふいんき

吹く風にひんやりとしたものが感じられる頃、144試合もえんえんと続いてきたプロ野球のシーズンも、終わりに近づく。そしてほぼ順位の決定したこのころには、わが家にいわゆる「消化試合」のチケットがどこからともなく回ってくるのだ。特に多いのは、在住の神戸市にある「ほっともっとスタジアム」のチケット。ここは、ご存知?オリックス-バッファローズの本拠地だった。青々とした天然芝、視界をさえぎることのないフェンスなど、本当に目にやさしい球場だ。野球のルールなぞ分からなくても、座席に腰掛けてグラウンドを眺めているだけで、ひろやかな気分になれる。

ところが興ざめなのは、バッターボックスに選手が向かう際のアナウンスだ。イチロー、長谷川、田口など日本人リーガーを輩出したこの球団は、、大リーグへの「本卦がえり(‘本家’ではないぞよ)」をめざしているのか。、男声の、ものすごい巻舌音で、「スゥズゥクゥイ~、イツゥィロゥゥゥ~」などと雄叫びを上げるものだから、「鈴木一朗・・・か?」と気づくまでに、1分20秒ほどかかったりする。そしてその頃には、当の選手は凡フライでアウトになり、もうベンチに戻っていたりしているのだ。

選手名が聞き取れないアナウンス、こりゃ一体何のための、誰のためのものなんだ?アナウンスとは、元来、次の打者は誰かという「情報」を伝えるものであるはず。その疑問に対して、球場の人たちはこのように答えた。来場者の大半を占めるのは、オリックス-バッファローズファンとその相手、つまり「身内」な人たちだ。だから「次の打者はだれそれ」と心得ているから、わざわざ告知する必要なし。第一、バックスクリーンに打順は掲示されている。要は、大リーグっぽい感じが伝わればそれでよい、と。

つまり、この人たちが伝えたかったのは、単なる「ふいんき(正しくは『ふんいき』。念のため)」だったわけだ。それにしても実にムラ的な、相手不在の思考回路だねェ。よそから来る「お客さま」には、あくまでも情報の提供を主目的にしなくちゃね。さて、みなさんのプレゼンやPR文も大丈夫?「××に挑戦するのは、そこにヤリガイを感じるからです(やってないことにどうして『やりがい』を感じられるんだい?)」「私は成長したい(自己評価としての「成長」は本来「身長が伸びる」という意味しかない。英語のgrowthと勘違いしてるんだよね、きっと)など、自分以外には理解できない言葉を連発した、雰囲気重視の、空虚な内容になってないか?

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論理力は誰のため?

論理力はどんな時に一番役立つのだろう。それはズバリ、「弱者が強者を説得する時」だと私はひそかに思っている。

人はどんな場面で説得されるのか、アリストテレスはこれを3つに分けている。

1.論理的説明によるもの(論証)
2.語り手の品性・人柄によるもの(権威・美醜)
3.聞き手の感情・情念に訴えるもの(憐れみ・同情)

つまり、上司が部下に動いてもらうのには、さほど理屈は必要ないのだ。「これやれ!」でいいのだから。それができない我々に、「こうだからコレしたいんですけど、いいですか?」という論理のチカラが必要なのだ。

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帰納法の落とし穴

11/21・27付のコラムでも書いたように、人間の思考の様式は「帰納法」と「演繹法」に大別される。

普遍的な前提から個々の結論を導くのは「演繹法」だ。数学の解を導くのに、公式をあてはめて考えるのがその典型例である。ただし、日常生活においては、どの前提を‘普遍’と考えているかで異なる結論が導かれることは、11/27コラムで‘清武の乱’の例を引いてすでに述べた。

では「帰納法」はどうだろうか。多くの個別事例を観察して、それから普遍的な原則を導き出す帰納法は、自然科学などでは当たり前に用いられる手法である。ガリレオは木星の衛星の発見から天動説に疑いを持ち、ニュートンは木から落ちるリンゴを見て万有引力の法則を打ち立てた(これには異説もあるが)。じゃあ、帰納法は万能か?

というと、残念ながらそうでもない。確かに通信添削のテキストで書いたように、、誤ったサンプルを集めてしまったというような、いわゆる使用上のミスもあろう。しかしそれ以前の大問題がある。それは、「想定外」のケースだ。

帰納法は、集めたサンプルをもとに将来の仮説を立てる。ところが、いくらデータを集めたところで、現実がそれを超えることだってある。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)がその例として記憶に生々しい。

人間の英知には、やはり限りがあるような気がする。。「諸行無常」、現状は常にうつろう。一度立てた仮説を指針としつつも、決してそれに固執することなく柔軟に現実に挑む姿勢が、われわれ実務家には求められる。

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ロジカル・ライティング

「ロジカル・ライティング」には2つの側面がある。まず「ライティング=書く」というアウトプットの面と、その前段階として「ロジカル=論理的」に情報を取り込むというインプットの面、いわば出口と入口でがる。

ところが、この出口と入口、私の見るところ両方得意な人は少ない。前者が苦手だと、MECEやロジック・ツリーはカンペキなのだが、言葉にすると「何だコレ、日本語?」という文章ができあがる(英語など他の言語で書いても同じだと思うが)。当然説得力には乏しい。逆だと、わかりやすい文章は書けるのだが、なんでこの要素と構成になったのか、うまく説明ができない。再現性が低いのだ。

実はこれは、必要な能力が異なるのでおこる現象らしい。ハーバード大のガードナ博士とやらによると、ライティングはlinguistic intelligence、論理力はlogical-mathematical intelligenceと、それぞれ異なる能力が司っているようだ。日本流でいうと、文系タイプ、理系タイプと表現してもいいかもしれない。

皆さんはどっちのタイプだろう?まずはこれを自覚して、苦手な方を鍛え、得意な方を伸ばしてほしい。トレーニング方法については、また別の機会に。

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問題解決と課題解決

「問題解決」と「課題解決」、この2つがごっちゃにされていることが多いので困るという話を、それぞれ管理職の立場である人たちから立て続けに聞いた。ということで今日は、この2つの語は、一般的にこう捉えられているという話をしたい。

まず「問題」とは何か。これは「あるべき姿(望ましい状態)」と「現状」とのギャップ、引き算であると定義されている。つまり、当人にとっての‘困った状態’なのだ。ということは、「あるべき姿」をハナから追い求めない人にとっては、「問題」は存在しない。例えば、ニートである状態を本人が心地よく感じていれば、それは当人にとっては全く「問題」ではないのだ。(ちなみに、「問題」には見えるものと見えないものとに大別されるが、それはまた他の機会に)

一方、「課題」とは「あるべき姿」に向かうための取り組み目標だ。すなわち、「問題」とはネガとポジ、裏返しの関係にある。例えば、「人手不足」が問題であるとすれば、課題は多くの場合「どうやってマンパワーを充足させるか」になる。

言い方を変えれば、「問題解決」は起こっている現象に焦点を当てるのに対し、「課題解決」は自分で作り出すもの、と表現できる。だから「課題解決」の方が難易度がワンランクアップ、と捉えられている。お分かりかな?

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