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archive : 2012 年 06 月

王様は裸か?

苦手な食べ物と向き合っている子どもと同じ感覚で、今、一生懸命、ある本の内容を飲み下そうとしている。名前は、まあ、ロジカル・ライティング系の本と言っておこう。

以前、あまりに読みにくかったので、購入した日本語訳を読みとおすのを断念して原本(英語)を取り寄せた。でも私の語学力のせいが大きいが、これもスムーズに頭に入らなかった。「Logic in writing,…」という但し書きが付いているわりには、やたら言葉の重複があるなど、表現で気になる点が目立ったのだ。「著者はネイティヴじゃないのか?」と、思ったことを覚えている。

最近、仕事の関係でこの本を読みなおす必要に迫られた。ところが、原本が見当たらない。やむなく、本棚の、目につくところにあった日本語版を手に取った。改めて見ると、訳者はマーケティング専門のコンサルタントのようだ。ビジネスパーソン向けの内容としては、うってつけの人選なのだろう。でもやはり、探している部分がなかなかみつからないほどわかりにくかった。例を挙げる。

●「…以下のようなプログラムが望ましいかもしれない」
ふつうは「望ましい」でやめとくが、おそらく助動詞‘may'が気になり、捨てることができなかったのだろう。せめて「望ましいと思われる」ぐらいにしてほしいものだ。

●「行動が完了した時点で得られる最終結果または得られるものがなんであるかという観点に立ち」
重複が大好きな原書につられて、‘得られる’の2連発という、気のきいた受験生ならばやらないような訳出をしてしまった。そもそも、「得られる最終結果」と「得られるものはなんであるか」は、字面からすればイコールに見えるのだが。多分これは、ofの読み違いで、「最終的な成果、そしてプロセスで得たもの」という意味じゃないだろうか。

これらが、‘散見される’のではなく、‘オンパレード’レベルなのだから、読み手の苦労は筆舌に尽くしがたい。ところがアマゾンでは100件近いレビューのうち、75%以上が「わかりやすい」と肯定的なので驚いた。しかしよくよくそれらの内容をみると、「予備知識のない人にはとっつきにくい内容だ。だからこそ、自分の血肉となるまで使いこなす!」という宣言がけっこうある。…うーん、わかりにくいのは多分あなたのせいじゃない、たぶん。文章表現のまずさが大きいと思うよ。「王様は裸だ!」といってあげたいなぁ。

ちなみに邦題には「考える技術」とある。ひょっとしたら、原文を思い浮かべ、文の意味を推察することによって思考力をトレーニングをさせようという、訳者の親心かもしれない。

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論理(学)は文系?理系?

「論理(学)」は‘文系’‘理系’どっちの分野なのか、と聞かれたことがある。が、これは私ごときの浅薄な知識の輩の手に負えない、大変深遠な問いであるように思う。

論理学は、もともとキングオブ文系である「哲学」の一派であったことはご存じだろうか。
演繹・三段論法などによる推論の方法は、アリストテレスやらエウクレイデス、墨子らによる「お仕事」だ。つまり、ビジネスパーソンが言う「論理」は、世界史の教科書の最初のほうの時期に、学問としてもう確立されていたようである(帰納法はもうちょっとあと)。

ところが、論理学は20世紀になって一変した。数学的な技法を持ちこむことによって、「数理論理学」として中興を得たのだ。

現代の論理学のテキストをみると、Aの逆立ちだの→だの、カギかっこだのがびっしり詰まっていて、「ことば」の部分がほとんどない。数学の時間に「集合(U)」とか「同値(⇔)」による証明やらに悩まされた記憶をお持ちの方、あれが数理論理学の一端である。研修名に論理だのロジックだのを冠すると、当初アレルギー反応を示されたのは、この記憶のせいもあるのではないか。

ただし、こうした数理論理学のチラ見せは、92年からのゆとり教育によって義務教育から消え去り、その後復活していない。そういえば、「ゆとり世代」以降の方が、論理を言語テクニックとして捉え、かつアレルギーも少ないような気がする。今の日本では「文系」論理学が復権、ところを得ていると言えるかもしれない。

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テレルナ・オマエら

大学院に通っていたころだから、数年前の話であろう。東北のある村の宣伝であったか、JRにインパクトのあるポスターが貼ってあった。村人数十人全員が、村の中央にある温泉に入っているという場面設定だった。

腰にタオルを当てただけで美脚があらわになっているおじいさん、豊かながらも胸元にそこはかとない黄昏を感じさせる湯船につかったおばさん、今なら人権問題になりそうなすっぽんぽんに近い子ども。みんな、表情がいい。はじけるような笑顔とは、こんなことをいうのだろう。湯気で顔が上気し、つやつやと輝いている。

と、写真の中央のあたりに違和感を覚えた。白人女性が2人写っている。おそらくプロのモデルであろう。が、羞恥心からか表情が完全にこわばってしまい、一人は完全に目が泳いでいる。「とにかく、撮影を早く終えて!」という心の叫びが聞こえてきそうだ。素人である村人らが、のびのびイキイキと撮れているのとは対照的な印象である。

歴史上、これほど風呂を愛したのはローマ人と日本人だけである、とは漫画『テルマエ・ロマエ』のセリフである。やはりこの2人種以外の人間にとって、温泉で撮影されることはこんなに無理があるのか。文化とは何か、しみじみと感じさせる深い1ショットであった。

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問題解決と課題解決

「問題解決」と「課題解決」、この2つがごっちゃにされていることが多いので困るという話を、それぞれ管理職の立場である人たちから立て続けに聞いた。ということで今日は、この2つの語は、一般的にこう捉えられているという話をしたい。

まず「問題」とは何か。これは「あるべき姿(望ましい状態)」と「現状」とのギャップ、引き算であると定義されている。つまり、当人にとっての‘困った状態’なのだ。ということは、「あるべき姿」をハナから追い求めない人にとっては、「問題」は存在しない。例えば、ニートである状態を本人が心地よく感じていれば、それは当人にとっては全く「問題」ではないのだ。(ちなみに、「問題」には見えるものと見えないものとに大別されるが、それはまた他の機会に)

一方、「課題」とは「あるべき姿」に向かうための取り組み目標だ。すなわち、「問題」とはネガとポジ、裏返しの関係にある。例えば、「人手不足」が問題であるとすれば、課題は多くの場合「どうやってマンパワーを充足させるか」になる。

言い方を変えれば、「問題解決」は起こっている現象に焦点を当てるのに対し、「課題解決」は自分で作り出すもの、と表現できる。だから「課題解決」の方が難易度がワンランクアップ、と捉えられている。お分かりかな?

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或る夜の出来事

今、出張中である。泊まりで仕事をするときは、人と会う時以外、夜はほとんど出歩かず、ひとり部屋でおとなしくしていることが多い。よく行ってホテル内のスポーツクラブぐらいだ。

ホテルについたらすぐにすることがある。「お札」チェックだ。様々な人が泊まるホテルでは、部屋で‘事件’や‘事故’が起こっていることがある。そういう部屋には、必ずどこかに清めのための札(や塩)が置いてある。

非常階段のありかは確認するが、そういうことには無頓着なたちであった。でも講師仲間から、やれ、夜中に金縛りにあったの、鏡に何か写っていたのという話を聞くものだから、不快な体験はできるだけ避けるためにも、チェックをするのが習慣になっている。チェックポイントは飾ってある絵の裏、机の引き出し・ベットの裏や下、クロゼットの中である。

昨年秋のこと、ある地方のホテルに夜遅く疲れて到着した、。念のためベットの下を見ると、見事に塩が盛ってあった。ホテル側に言って部屋を変えてもらった。しかし新しい部屋でもなんか妙な気配を感じ、壁の絵をめくると、手書きの梵字のお札が落ちてきた。梵字のいくつかが誤字なのが、ご愛敬といえなくもない。

その時点で草木も眠る丑三つ時である。さすがに部屋をもう一遍変わる気力もなく、お札だけフロントに引き取ってもらい、そのまま寝た。あくる朝、わざわざ支配人がお詫びに来た。似たような体験をした友人がロールケーキをもらったという話を思い出し、ちょっと期待したが、結局何ももらえなかった。

あの部屋で凶事があったための即席お手製札だったのか、それとも前泊した誰かがマジナイをほどこしたのか。どっちにしろ、私本人にはあまり影響はなかったようである。

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キャリア・コンサルタントのキャリアは誰が考えるのか?

人事担当者らとの寄り合いでのこと。「自分の人事異動ってどう決めるの?」と尋ねたところ、「‘床屋の髪’っていう質問か。ははは」と笑ってごまかされてしまった。これは「床屋の髪は誰が切るのか?」からの借用で、専門家が自分の専門分野で当事者になったときにどうしているのか、といった場面でよく使われるセリフだ。

替って「キャリアコンサルタント(CC)」のお話。職業選択、仕事の中身・人間関係など、働くうえでのさまざまな問題解決を傾聴・気付き・助言で援助しながらキャリアプランを練るのを助けるのが、CCの仕事である。昨今では、「雇用の調整弁」となりがちな若年層への正社員化促進のための政府プロジェクトで、その役割を発揮することを期待されている。

では「そうか!そんな成長職種なら、私も資格を取得してフリーター脱出!」と思ったあなたはちょっと甘い。実はこうした公的就職支援機関(ハローワークなど)にフルタイムで勤めるCCの大半が、月収20万程度の契約期間1年の非正規雇用である。これはCC全体の1/4以上を占める。(2010年度「キャリアコンサルティングに関する実態調査部会」より)実際、「契約更新の時期が近付くと不安で仕方がない」という声もよく聞く。雇用の不安定さに悩んでいるのは、あなただけではない。CCも同様なのである。

来年度からは5/21付コラムでも書いたとおり、学校へのキャリア教育の充実に向け、まず大学へのハローワーク職員の派遣が始まる。そのため政府は現在2万8千人程度のCCの数をさらに数万人、上積みする予定だ。おクニはますます非正規雇用を増やすつもりらしい。

二重の意味で「雇用の調整弁」と化しつつあるCC。キャリアの先が見えないCCのキャリアプランは、一体誰が考えてくれるのだろう?

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論文とビジネス文書との違い

最近、社内の論文試験(やその対策のための練習答案)を、「パワーポイントのスライド」と勘違いしているものが増えていると感じる。年代層をいえば、30代前半ぐらいまでの若手に多いか。特徴は、小見出しやナンバリング(1.2.・・・など数字をつけること)で構成されていることだ。また、提案を求めるようなテーマでは、決めゼリフへのこだわりが目立つ。

例えば、「職場風土の改善のためには『強い現場力』の回復が必要だと思われます。1.現状認識 ・各自の仕事内容が理解できていない、・ミスが共有できていない、・・・・。2.『強い現場力』回復のために ・自らリーダーシップを発揮する、・部下とコミュニケーションをとる」・・・3.最後に 『強い現場力』を取り戻すため率先垂範で頑張りたいと思います。」など。極端な場合、書き出しとまとめ部分以外、箇条書きの羅列と決めゼリフの連呼で構成されているものもある。 

ひょっとすると、故ジョブズ氏の「140字以内で言いたいことをまとめろ」「ポイントは3つに絞れ」「たとえを活用せよ」といった、「簡潔に、明確に」という遺言を忠実に守っているつもりなのかもしれない。しかし、ジョブズ氏のプレゼン用パワポ(アップル社なのでKeynoteか)は、相手の目の前に立って音声や身振りで説明を加えることを前提にしている。

それに対し、論文は、文字面ですべてを相手に理解させなければならないのだ。だから「なにが、どうした」という因果関係をアナログ的に解説していかなければ理解してもらえない。この点、くれぐれも注意してほしい。

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すべってもめげない力

すまぬ、皆の衆!また更新が遅れてしまった。

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前回「すべらない」と「力」をつけた本のタイトルの多さについて書いた。そののち、たまたま見つけたのが、プレジデント3月19日号「『すべらない』書き方」。ずばり、文章表現力アップのノウハウがちりばめてある。各有名人のメール・手紙集もあり、特に、アピールのための文章について学びたい人にはお得感満載の号だ。ぜひ、読んでほしい。

ただ、1万人はくだらない他人の文章を見てきて、さんざんケチを付けまくっている(=添削した)人間として一言。すべることを恐れないこと。文章への苦手意識が、表現力を伸ばすことを妨げている部分も大きい。要は、書かないから書けないのだ。

いろんな勉強を重ねた挙句、カンペキな文章を書かなければという強迫観念にとらわれてしまう人は案外多い。マニュアル本にそって書き始めたものの、本来の意図とズレた中身になったり、極端な場合、パソコンと長時間にらめっこ、結局何も書けなくなったりということもよくある。

勝負用の企画書・プレゼンパワポなら、確かに「すべらないよう」緊張感を求められるかもしれない。でも、頭でっかちに考え込むよりも、どんどんすべって転んで豆腐の角で頭を打ちながら、そこから学ぶことの方が多いんじゃないだろうか。

特にメールやブログなどはすべるのを恐れず、どんどん書こう。評判が悪かったら、何が悪いのか周囲に聞いて改善していこう。格好の悪さなんて気にしない。それがコミュニケーションだ。

「すべらない」書き方

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