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archive : 2012 年 07 月

いじめている君へ/いじめられている君へ

「いじめ」については、当事者として相当の修羅場をくぐった経験を持つ。体験をかいつまんで記しても一冊の本が書けるだろう。当然、当ブログのコンセプトにはそぐわないのでネタから外していた。が、気になることがあるので、ちょっとひと言。


朝日新聞に掲載中の「いじめている君へ」。これは、2006年の連載「いじめられている君へ」の第2弾である。各著名人が、自分のいじめ体験などをもとに、当事者らに語りかけるという体裁だ。実は、この記事、私は極力目を通さないようにしている。大抵の場合、イライラしてしまうのだ。各人の受けたいじめのレベルが、あまりにもバラバラだからだ。「なんでこんなやつにインタビューするの?」と思うこともしばしばだ。

見て一番やれやれと思うのは、「あたしも、ボクもいじめられたよ!だけど乗り越えたんだよ!キミは独りじゃない、ガンバレ!」というカミングアウト→共感→励まし、というパターンだ。中には取るに足らない仲たがいを「いじめ」として一生懸命語るアイドルもいる。ときどき、それにアドバイスが加わる。「一人で没頭できる何かを見つけよう、例えば読書とか」。悪気はないんだろうが、冗談じゃない。目で文字が追えるぐらいの精神状態ならば、苦労しない。

ターゲットにされた人間が、自らを傷つけることを考えるほどのレベルのいじめは、大抵の場合、大人であれば、実刑数年を食らうほどの内容であることがほとんだ。傷害、恐喝、暴行、それが学校という閉鎖社会で行なわれるために、事なかれ主義の教師らやクラスメートから、無かったことにされてしまう。自分という人間の価値を自分で決められず、その集団の価値観でしか自分を測れない絶望。もちろん、この集団から抜ければ、すぐそばに全く違う世界が広がっている。でも、絶望しか見えなくなった人間が吸い寄せられがちなのは、「あの世」という別世界である。

「いじめ」にはいろんなレベルが存在する。新聞記事になるような悲劇は、即、司法や警察の介入が必要なものが大半だ。雰囲気的な「いじめ」と、緊急性・深刻度の大きい事案とを同列に扱うことはできない。。

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社会人のための添削道場 其の弐

久々の添削道場、閉門していないぞ!


ビジネス用語の意味

当研究所に「頼もう~」の客人の声。急いで門人Bが戸を開けると、原稿用紙を握りしめてたたずむ一人の姿が。名は「ルー小柴」というらしい。どっかで聞いたような名だが、顔を見るなり口を開いて懇願する。

小柴:「スミマセン。あと1カ月後で昇進テストなんですが、田原師匠は?」

門人B:「ただいま休憩時間中で不在です。すぐに呼びもどしますのでお待ちください。まずは控えの間に」

小柴:「あんたでもいい、ラフ原稿なので。その指摘をもらってからリライトして出直します」

師匠不在の非礼を詫びつつ、Bは原稿用紙に目を落とした。

小柴の原稿(書き出しと終わりの抜粋)

テーマ「職場のリーダーの役割」
 ここ数年、グローバルスタンダードの考え方が浸透してきたことから、当社でもコンプライアンスが注目されている。これは、全てのステークホルダーに関し、CSRが問われているものだ。当部門プロジェクトについても、製造過程のPDCAサイクルにおいて、真のリスクマネジメントを考慮しなければならない。・・・このためには、やはり部門間のコミュニケーションがポイントであると思量する。よってクロスファンクショナルな考え方を取り入れ、全ての従業員がコミットメントする、そんなマネジメントリーダーを目指したい。

門人B:「小柴さんって、日本人ですか」

小柴:「生粋のジャパニーズだ」

門人B:「どうしてこんなに、横文字が多いんですかね。『部門間のコミュニケーション』って、具体的にどういう行為や関わり方を指すんですか?」

小柴:「…」

小柴は答えに窮し、肩を落として帰って行ってしまった。論文は、巷のコンサルタントのように、知りうる限りのビジネス用語をちりばめればいいものではない(全部のコンサルがそうではないが)。あくまでも意味をよく理解し、適材適所で使わねば、オウムやインコの繰り返しと変わりない。

本日の門前払い

ビジネス用語を並べれば、事足りると信じている輩(やから) 道場

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うなぎの思い出

ウナギの値段が、文字通り、うなぎのぼりに高騰しているらしい。確かに店の陳列棚をのぞいてみると、値段とともに商品の数の少なさに驚く。

実は、ウナギは高級魚であるという認識は大人になるまでなかった。帰省先の田舎では珍しい食材ではなかったからだ。川が氾濫したあとなどは、子どもでも1本2本、岸辺で拾うこともあった。手先の器用ないとこは、魚籠を仕掛けて取っていた記憶がある。大抵は大人の酒の肴になっていた。

一度、子どもらだけで調理したことがある。内臓を出すときは数人がかりである。包丁を握れるのはいとこ連中のなかでも、長老(といっても小学校の高学年か中学1,2年ぐらい)、頭や胴体を押さえつけるのは、そのすぐ下の中間層。私のような一番幼い連中は息をつめてみているしかない。それこそ24ぐらいの瞳が並ぶ中、炎天下、切れない包丁でうなぎは解体されていく。ウナギ押さえにあぶれた別同隊が、横で練炭で火をおこしている。

それに塩を振る知恵も浮かばないまま、焼けた網の上に箸でつまんでのせる。筒切りなので、芯まで焼けるのは相当時間がかかる。脂が多いのですぐ焦げてしまう。できあがりはどうみてもヘビの黒焼きだ。グロい、まずそうでほとんど食べるやつはいなかった。私は好奇心からか、一番食べたらしい。

その日の晩、私は高熱を出してうなされたようだ。そこから「ウナギはあたる」という認識が子どもたちに広まり、ザ・解体ショーはその夏限定一回きりのイベントで終わった。

今から思えば、この高熱は熱中症というやつだろう。炎天下の中に3時間以上立っていたのだから、ウナギのせいにするのは相手も浮かばれまい。熱い夏の日、「少年時代」の強烈な思い出である。

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新・教養主義2

2,3日前から、なんだか頭が痛いな、だるいな、暑さのせいだろうかと過ごしていた。ところが昨晩熱を測ったらなんと38度を超えていた。ということで、本日は無理をせず休業。みなさんもくれぐれもご自愛を。


さて、「教養」とはなにか。残念ながらコメントへの書き込みはなかったので、個人的に寄せられた意見から。
「教養」とは「常識」ではないか、ということであった。例えば敬語を始め、あいさつ、返事、相手を尊重する態度や表現の仕方である。

「神ッスね」という言葉は、自分たちにとってはホメ言葉なのだろう。しかし大部分の社会人からすれば、「なめとんか」としか思えない。自分の気持ちを、適切かつ良識のある言葉で表現できること。これは確かに「教養」だ。またそれ以前に、相手の能力や経験、人格を認めること。つまり、自分にできないことを相手ができることに気付くこと、これも実は「教養」が必要であるのかもしれない。

ずっと前のことだが、警察で研修をしたことがある。講義前、いっぱい漢字が並べられたいかめしい肩書きの方にご挨拶にあがったとき、こう言われた。「では先生、彼らをキョウヨウしてやってください!」

自白強要、拘束、ムチ打ち、市中引き回し、獄門・・・いろんな連想が頭をめぐる中、差し出された名刺を見てやっと理解した。「○○県警 総務部 教養課」。キョウヨウ、とは「教養」のことだったのだ。

「教養」について、しばらくの間コメントをオープンにしているので、ぜひ書き込んでいってね!

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新・教養主義

人材育成 企業が注目の大学 国際教養大 首位に」という7月16日付の日経の記事はご覧になっただろうか。同社がいわゆる一部上場企業136社の人事部長以上に実施した、アンケートの結果(いつやったのかな?)である。

続く2位は東大で老舗の貫録を見せたが、3位に上がったのが立命館アジア太平洋大学。1位の国際教養大同様、留学生の招致と英語でのレクチャーに力を入れている大学である。グローバル化とは「世界中がお客さま」ということだ。これに備え、頼むから英語ぐらいはできるようになっておいてくれ、というのがアンケートからのメッセージだろう。

この中で、私がもっとも面白いと思ったのが「新卒者を採用する立場から大学教育に求めるもの」という質問だ。トップの回答は(複数回答)「教養教育の強化」(78社)だそうだ。大学での教養というと…「パンキョー」?1.2回生の時に大教室でやる、センター試験の積み残し項目のおさらいのようなのような、あの一般教養の講義のこと?

みなさんは、社会人になるために必要な教養とは、どのようなものであるとお考えになるだろうか?今回のコラムは「コメント受付」にしているので、ぜひぜひ、広くご意見をいただければと思う。

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論理力養成ギプス講座 その六

ビジネスと帰納法3
前々回から続いている、 ・論理学からすればツッコミどころ満載の師弟問答。ちゃんと完結するのか?

一 徹 :「よいか、帰納法ではある『問い』に対し、『~である』という答えを得るために観察事実を集める」
オスマン:「『問イ』トハissue(いしゅー)、ツマリ論題ダナ?ぼす」
一 徹 :「そのとおり。そしてそれに対しての仮の答え、すなわち仮説を立てるのよ。そのうえで、もう一度、観察事実を見直し、仮説との整合性を見る。このプロセスについては、後日イメージ図を挙げたいと思っておる」

オスマン:「モシ、仮説ヲ覆スヨウナ事実ガアレバドウスル?」
一 徹 :「仮説は一からやり直しとなる。ただ、そこで気をつけなければならぬのは、論題にそった事実を集めているか、妙なものが紛れ込んでおらんかいうことじゃ」
オスマン:「妙ナモノ?」

一 徹 :「ベーコンの例を挙げようかの。彼は『熱とはどのようなメカニズムで発生するか』について研究しておった。そこで『熱い』と考えられるありとあらゆる現象を集めた表を作った。それを仮説形成の第一歩としたのよ。太陽熱、炎などはまあよい。その中には、‘トウガラシの味’まであったようじゃ」
オスマン:「???」
一 徹 :「外人のお前がわからんか。‘HOT’と感じることをすべて集めたのじゃ」
オスマン:「英語デハ辛(から)イモ熱イモ’HOT’ダ。デモ日本語モマダマダ分類ガ甘イ。中国語ナラ漢字デ5段階ノ『からい』ガアル」

一 徹 :「よその国のことはよろしい。だが、確かに事象の分類は大事なプロセスじゃ。正しい分類のためには、テーマに関わる語の定義をしっかりせんと。『熱』研究の例でいえば、温度の上昇を伴う現象という但し書きのうえ、事象を集める必要があった。これは研究だけでなく、日常のこと・ビジネスの問題を考える際にも忘れてはならん」

オスマン:「ぼす、きよし監督ノ『熱いぜ』ハ、べーこんノ時代デハ‘『熱い』事象’ノ1ツトシテ考エラレタダロウカ?」
一 徹 :「おそらくはのう。主観と客観が未分化の時代じゃったからな。実際、先発はミウラ以外はたいがい途中で炎上、主軸バッターの台所事情も火の車。チームが『熱い』のも無理ないがの…」

 *参考文献 石井栄一「ベーコン」清水書院 1977

オスマンからのおわび:「帰納法ニツイテノ質問ヲびじねすニ絡メテスルツモリダッタガ、べーこんカラ話ガ展開シナカッタ。力不足デ申シ訳ゴザイマセンデシタ」

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論理力養成ギプス講座 その六

ビジネスと帰納法2

オスマン:「ウウム、『全テノからすハは黒イ』…以前勉強シタ反証カ?『白イからす』ガ一羽デモ見ツカレバ、ソノ意見ハ成ナリ立タナイトイウ…」
一 徹 :「確か4/16で話したな。それとも関連するが、ほれ、2/2のコラムを思い出すがよい」
オスマン:「読ンデナイ、ボス」

一 徹 :「帰納法という考え方自体がおかしいのではないかという説よ。『全ての黒いカラス…』はそれを対偶という方法を使って、論理的に証明したものじゃ」
オスマン:「タイグウ?」

一 徹 :「これについては日を改めてまた説明してやろう。とにかく帰納法は、今までに起こったことは、今後も繰り返し起こるはずということを前提にしておる。ところが、そうとは限らん。為替や株価では思いもよらぬ大暴落が起こる。大地震もしかりじゃ。あの日も、昨日と同じ日が続くと思って、みな仕事や学校に出かけたはずじゃ」

オスマン:「デモ歴史的ニミレバ、大地震モ一定ノ周期デ起コル、予測可能な『繰り返し』運動デハナイノカ?」
一 徹 :「どうしてそう言える?その考え方自体が、『今までに起こったことは繰り返される』という思い込みをもとにしておらんかの」
オスマン:「…何ダカ混乱シテキタ…」

一 徹 :「無理もない。じゃが実際この考え方を使うに当たって大切なのは、まず、予測不可能な事態が起こるかもしれなことを念頭に置いておくことじゃ。そうすれば、『白いカラスなんぞ想定外』といったうろたえた言葉を言い訳に使わずに済む」
オスマン:「‘マズ’トイッタナ?他ニモ何カアルノカ?」

一 徹 :「仮説を立て、それにふさわしい材料を集めるプロセスを持つことが大切じゃ。これがなければ、見当違いの結論に走っていくことがよくある。実は、帰納法の提唱者のベーコン自体、失敗しておる例がある」
オスマン:「べーこんトハ、人ノ名ダッタノカ?」

一 徹 :「馬鹿者、フランシス・ベーコンは16世紀から17世紀、エリザベスⅠ世の治世下におった哲学者じゃっ!『妻と子を持つことは、運命に人質を預けるようなものだ』という言葉を残しておる」

(つづく)

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論理力養成ギプス講座 その六

ビジネスと帰納法1

朝から論理の習得に励む、父ちゃんこと一徹&オスマンのコンビ。だが、いつもは勉強熱心なオスマンが心ここにあらずといった感じだ。一徹が苛立ってきた。以下、3回ぐらいの連載で!


一 徹 :「おい、オスマンよ、聞いておるか!帰納法は、フランシス・ベーコンがつくったと言っておるのだ」
オスマン:「昨日、ふらいどぽてとトべーこんれたすばーがーヲ作ッタ?」

一 徹 :「…全く、今日のお前はひどいのう。一体全体、どうしたのじゃ。目も赤い」
オスマン「昨晩遅クマデ、DVDヲ見テイタ。『白イからす』だ」
一 徹 :「幼児向けTV番組にでてくる悪役の乗り物じゃな。子どもっぽいぞ、オスマン」

オスマン:「違ウ、あにめノきゃらカラソンナコト言ワレタクナイ。10年前グライノあめりか映画ダ。あんそにー・ほぷきんすガ大学教授役デ主演シテイル」

一 徹 :「レクター博士かの?」
オスマン:「No! 外見ハ全ク白人ダガ実ハ黒人、トイウ役柄ダ」

一 徹 :「ほほう、興味深いタイトルの付け方じゃの。ところでオスマン、実は『白いカラス』は、今話しておる帰納法とも関連しておるのじゃ。『全てのカラスは黒い』という話は知っておるか?」

(つづく)

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呼称のオモシロさ

最近、見知らぬ人からの呼びかけ語が「奥さん」になってきた。以前は、「あのー」「すみません」、あるいはうれしいところで「お姉さん」だったのだが、外見も実年齢に連れて、経年変化してきたのだろう。仕方ないなぁ、とあきらめつつも、女ゴコロはちょっと寂しかったりもする。

ちょっと気になるのは、これは現在ダンナ持ちの女以外には失礼にあたらないのかということだ。2010年度国勢調査によると、女性の30~34歳の未婚率は33.3%。つまり、この年齢層に「奥さん」とよんでも、文字どおりの意味では3回に1回はハズレということになる。ちなみに40歳までこれを拡大すると、ハズレ率は4人に1人ぐらいになる。

英語にもMa'am(仏語のMadame(マダム)の訛りか)はあるが、これは本来の意味を失い、いわゆる‘女性’の年齢の人に対する尊称として普通に使われている。その代わり、姓にMrs.かMs.のどちらを使うかにあたっては、かなり慎重なようだ。とりあえずビール、ではないが、とりあえず「Ms.」という感じもする。

ところが日本の「奥さん」は、もろにMrs.であることを前提にされているように感じる。愉快な気分ではない、とは、私の独身の友人らの多数派意見である。結婚しているかどうか、あんたに関係ないだろ、推測でものを言うな、と言いたくなるらしい。

古来、日本語の呼びかけ語は、「オバサン」「オジサン」をはじめ、親族間の名称の延長線上にある。「奥さん」も家族関係に由来する呼びかけ語だ。友人らの不快は、「従来の家族モデル」規範の押し付けと感じられることから来るのだろうか。

こうした年齢・所属フリーな名称として最近脚光を浴びているのが「女子」だ。ただし、これは自称のみに限られていて、呼びかけ語としては成立していない。「そこの女子」なんて学校の先生に叱られているみたいだしね。うーん、人に呼びかけるって難しい。

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