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category :    論理力アップをめざす

論理(学)は文系?理系?

「論理(学)」は‘文系’‘理系’どっちの分野なのか、と聞かれたことがある。が、これは私ごときの浅薄な知識の輩の手に負えない、大変深遠な問いであるように思う。

論理学は、もともとキングオブ文系である「哲学」の一派であったことはご存じだろうか。
演繹・三段論法などによる推論の方法は、アリストテレスやらエウクレイデス、墨子らによる「お仕事」だ。つまり、ビジネスパーソンが言う「論理」は、世界史の教科書の最初のほうの時期に、学問としてもう確立されていたようである(帰納法はもうちょっとあと)。

ところが、論理学は20世紀になって一変した。数学的な技法を持ちこむことによって、「数理論理学」として中興を得たのだ。

現代の論理学のテキストをみると、Aの逆立ちだの→だの、カギかっこだのがびっしり詰まっていて、「ことば」の部分がほとんどない。数学の時間に「集合(U)」とか「同値(⇔)」による証明やらに悩まされた記憶をお持ちの方、あれが数理論理学の一端である。研修名に論理だのロジックだのを冠すると、当初アレルギー反応を示されたのは、この記憶のせいもあるのではないか。

ただし、こうした数理論理学のチラ見せは、92年からのゆとり教育によって義務教育から消え去り、その後復活していない。そういえば、「ゆとり世代」以降の方が、論理を言語テクニックとして捉え、かつアレルギーも少ないような気がする。今の日本では「文系」論理学が復権、ところを得ていると言えるかもしれない。

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「人柄」による説得

以前、説得術の3つのタイプを述べた。ひとつが論証によるもの、2つ目が人柄によるもの、3つ目が感情によるもので、それぞれロゴス(λογότυπα)、エトス(ἦθος)、パトス(πάθος)と呼ばれている。「『論理で説得』されるとか、『感情で納得』するとかいうのは分かるけど、『人柄』はどうもわからん」という声を聞く。これについては、「人柄による信用」と言い換えてもいいと思う。わかりやすい例として、最近自分が体験したことを挙げておく。

春夏秋冬の連日連夜、、駅前、バス停、ショッピングモールの入口、にぎわう寺社の門前に立ち、人の流れに逆らってお辞儀を続けている地元の県会議員がいる。その顔を、尖閣魚釣島の上陸議員の中に見て驚いた。マスコミからインタビューを受けていたのだ。そう言えばこの2,3日、街頭で姿を見かけなかったが、そんな南の島に泳ぎに行っていたとは。

彼いわく、日本の領土が大陸からの侵食におびやかされることに耐えられなかったという。アッパレ憂国の士である。しかし私は、いままでの行動から透けて見える「人物像=人柄」から、これが別の動機からきていると確信している。2,3の観察事実を取り上げる。

・90年代、市議に無所属で出馬し当選した直後、保守派の某大政党に鞍替え。その後県議に進出して3期をへるが、普段は県庁の某政党部屋に席があるようだ。ただし選挙時には、所属政党名がいつも「無所属」となる。

・街頭で20歳未満とそれ以上とをかぎわける鋭い嗅覚には、いつも驚かされる。児童、生徒など未成年者とおぼしき人物には、決して「おはようございます」とも「お帰りなさい」とも呼びかけない。以前、目の前で子どもが親を探して泣き叫んでいたときも、一瞥もくれなかった。

・議員になって十数年、今まで、終戦より占拠が続く「わが国固有の領土」への寒中遊泳を志さなかったのはなぜか。話題性の問題か、はたまた水温の問題だろうか。

これらから推察される行動規範は「とにかく集票」。次は国レベルでとの下心があるのだろう。これが「人柄」による説得、というか「人柄」のせいでそのコトバに全く説得力がない例である。

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『詭弁論理学』と『レトリックと詭弁』

今日は体育の日、頭にもエクササイズをということで、冒頭に挙げた2つの本の紹介を。

一つ目、『詭弁論理学(野崎昭弘著 中公新書 1980)』をひとことで言えば、詭弁のしくみをおもしろく解説した読み物、だ。取り上げてある観察例が昭和チックで楽しい。電車内のコマ犬人間やジベタリアン必見の部分は「電車でわが子をまっさきに座らせようとする非常識な母親」を描いた箇所。昔はその程度で「非常識」とされたのだ!

詭弁の親父分にあたる「強弁」にも、ニヤリとさせられる。1相手の言うことを聞くな、2自分の主張に確信を持て、3逆らうものは悪魔である、4自分の言いたいことを繰り返せ、5おどし、泣き、しゃべりまくること。「抵抗勢力」の烙印を押して政敵を失脚させた元首相や、補助金を人質に伝統芸能の存続に揺さぶりをかけている自治体の首長やらの顔々が浮かんでこないだろうか。中公文庫の緑色の威圧感をおそるるなかれ。やさしい語り口調の、古くて、新しい本である。

お次は『レトリックと詭弁(香西秀信著 ちくま文庫 2010)』である。上の本が、身の回りにあふれる詭弁や錯覚を数学者らしい視点で検証していくのに対し、これは「ビジネス護心術」という副題が示す通り、詭弁に対峙するためのことばとマインドのノウハウ本である。筆者によると、「議論の技術や論理的思考力の訓練をする時間もエネルギーも、失礼ながら根気もない方々」が対象だ。

特筆すべきは、取り上げた例の種類の豊富さだろう。文学、対談、有名人のエピソード、国会答弁など、いろいろな場面でのやりとりが取り上げられている。実用に供したいとの著者の意気込みが感じられる。ただし、1つ気をつけてほしいのが、これが10年ほど前の『「論理戦」に勝つ技術-ビジネス「護心術」のすすめー』のリメイクである点だ。既にお持ちの方はご注意を。

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哲学するココロ

今年もあと残りちょっとになった12月19日、本間正人先生の『プチ哲学セミナー 認定ファシリテータ養成講座』に参加した。

「なに、哲学?そんなことしてなにがうれしいねん」「それ、むっちゃ難しいんちゃうの」と思った方、そんなあなただからこそ「哲学」にうってつけなのだ。

20世紀までの日本では、困ったことが起こったときには、蓄積した知識をひっぱりだして、できるだけ「解」に近いものを当てはめて解決していた。たいがいのことは、アメリカなどの先進国からモデルを引っ張ってきたら、なんとかなったのではないか。だから、豊富な知識の中からに素早く解を見つけられる能力が重視され、そんな「賢い人」たちが官僚としてこの国を裁量した。

でも21世紀はそうじゃない。昔の「解」にこだわるから、失われた20年に突入しちゃったんだよね。今こそ、それぞれが人任せにせず、自分の頭を振り絞って解のない答えをつくっていかなければならないのだ。その考える力を養うのが哲学という行為だ。つまり、哲学は学ぶものではなく、「やってみる」ものなのだ。

そのうってつけの教材が「哲学してみる」という本だ。キュートなキャラクター達と共に、「外見VS存在(本質)」「理性VS情動」「自由VS必然(制約)」などの12のテーマが提示される。もちろん、正解なんてない。テーマから連想したこと、それにまつわる体験などを思いだし、心の中で静かに対話していくだけだ。セミナーではそれをいろんな人と語り合う。連想は広がり、体験は深められる。

あ、そうだ。これを論作文教室の事前課題にしたあと、みんなでディスカッションするセミナーなんてのはどうだろう。ロジカルシンキングとライティングのいいトレーニングになるぞ。

哲学するココロ
オスカー・ブルニフィエ (文)
ジャック・デプレ (イラスト)
藤田尊潮(訳)  村山保史 (監修・訳)

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